インド 各地域情報 ブッダガヤ
ブッダガヤ
インドとネパールの国境周辺に位置し、シャーキャ(釈迦)族の王子として生まれたゴーダマ・シッダールタのちのブッダは29歳で出家をし、6年間の苦行の後、セーナー村にたどり着き、村の娘スジャータより
ミルク粥を馳走になりました。
そして、近くの菩提樹で瞑想をはじめ、悟りをひらいた場所がブッダガヤ。
名高い場所であり、世界中から僧侶や信者が今もなお訪れてます。
マハボディ寺院
マハボディ寺院はたくさんの異なった文化が造り出した建築様式の融合体ともいえます。
拝殿はグプタ朝時代とその後の時代の建築の特徴を備え、寺院の壁には様々な様相をされた仏陀が彫られています。7世紀と10世紀にスリランカ、中国、ミャンマーからここを訪れた巡礼者の記録を刻んだ銘が残されています。
7世紀には旅僧・玄奘三蔵法師もここを訪れています。現在そびえているマハボディ寺院にある菩提樹(ピッパルの木)はついに悟りを開かれたときに座っていた菩提樹の子孫だといわれています。
スジャータ村
ナイランジャナマ河(尼蓮禅河)の対岸にはスジャータ村のセーナーがあります。厳しい苦行により衰弱し、疲れ果て、空腹の仏陀が木陰で休んでいる時、村娘スジャータが食べ物を勧めました。
仏陀はこの一杯の乳粥の供養の申し出を受け入れたのです。言い伝えによると、食べ物を口にした仏陀の表情は神がかり的な光と輝きを帯び、このとき、大切なのは極度の自己放縦でも苦行でもなく、中道をとることであるという至高を悟られたと言われています。
この出来事のシンボルとしてスジャータ・スターン(ドゥルゲシュワリ寺院)はいまもこの地にあり、当時を偲ばせる佇まいがあります。
その後、尼蓮禅河を渡り、菩提樹の下で7日間の瞑想の末、成道の境地の境地まで達せられました。35歳のときのことと言われています。
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