チンギスハーン 誕生・ゆかりの地
1162年頃誕生したといわれるチンギスハーン。
1206年にハーン(王様)の宣言があり1227年まで在位。
世界でも類をみないモンゴル帝国の楚を築きあげました。
その存在があらためて見直され、研究や調査がすすめられています。
現在も生誕の地をはじめ、確定できていない場所や年代など諸説がありますが、騎馬民族の息吹を感じることができるような大自然が広がっています。
首都ウランバートルの中心に位置するスフバートル広場にチンギスハーン像、テレルジ郊外に巨大なチンギスハーン騎馬像が建てられました。またゆかりの地とされる数多くの場所に記念碑などが建立されています。
ハラ ズルフニーフフ ヌール(湖) =バヤンゴル郊外=
ハラ ズルフニーフフ ヌール。
直訳すると黒い心臓の青い湖となります。
ヌールとは湖という意味です。
1189年テムジンがすべてのモンゴル部族の王、チンギスハーンを宣言した場所といわれています。
6月頃~8月、湖の周辺には、可憐なお花が多く咲きます。
雁や白鳥に似た渡り鳥などが移動の途中に、しばし滞在する姿もよく見られます。
ハンガル ヌール(湖)=バヤンゴル=
ハンガル湖は、遊牧民にとって大切なフルヒーン川の水源となっています。
湖の周囲は5.8km、水深は2.4m。
湖には様々の種類の鳥たちが生息しています。
オオハム、ハジロカイツブリ、ミコアイサ、オオライチョウ、アネハヅル、マガモ、サカツラガン、ツクシガモ、コウノトリなど。
この付近は豊富な雨や地下水が多く、湖は青く澄んでいます。緑豊かで、自然の生き物にもやさしい環境です。
バルダンベレー ベン僧院 =バヤンゴル郊外=
1784年にモンゴルの高貴なダイチン ジョノン ワン ゴンボジャブによって建てられたバルダンベレーベン僧院を見学します。
その昔、最盛期には、僧院には8000人以上の僧侶が生活をしていたそうです。
モンゴル東部で最も重要なチベット仏教寺院と位置づけられていました。
周辺には、オボーや異なる年代のモンゴル部族の彫刻が刻まれた岩があります。
デルウン ボルドク チンギスハーン生誕記念碑 =ダタル=
デルウン ボルドクは、小高い丘の上にあるチンギスハーン生誕の地を記念した場所で、石碑がおいてあります。
聖地となっており、聖なる布はたくなどが多く捧げられています。
丘のすそ野に石で境界線ができています。
その先は徒歩のみで行くことができます。
デルウン ボルドクからは雄大な景色が望むことができます。
生誕記念碑は1962年に生誕800年を記念して建てられました。
【この身体は滅びても、我が国は永遠である】という古いモンゴル文字であるウイグルの文字で記されています。
オボー =各地=
オボーは道や丘などの大切な場所にみられる石や家畜の骨などを積み上げた塚のようなものです。
ハタクと呼ばれる蒼い聖布を巻かれたものも多く、日本の道祖神や北欧諸国のケルンに似た地域アミニズム原始宗教のなごりといえそうです。
旅の途中でオボーを時計回りに3回まわって石などを積み、旅の無事を祈ったり、いろいろなお願い事をしたりします。
高さ2mを超えるオボーなどもあります。
いまなお篤い信仰に支えられています。
クリルタイ跡・チンギスハーンの泉・馬つなぎの地
=ダタル=
1206年に、テムジンが周辺の諸族を統合、オノン河畔にモンゴル諸部族の族長を招集、クリルタイ(合議・会議)をした場所で、テムジンがハーン(王様)になり、チンギスハーン誕生となった場所といれています。周辺には枯渇したことがないという泉があります。テムジンがここで産湯をつかったという言い伝えも。
他にも、チンギスハーンが馬をつないだと言われている馬つなぎの場所があり。
木柱が記念碑として建てられています。
ウグルグチーン へレム =ダタル近郊=
ウグルグチーン ヘレムは コンクリートや粘土を使用していない、自然石のみで建てられた歴史的な石垣です。
ダイチン山の森林斜面に建てられました。
高さ2-4m、幅3mほど。距離は3㎞ほどにもおよび、南側に入り口が2箇所ほど。
壁の内側などに建物やその痕跡などはなく、おそらく12~13世紀ごろ、弓の射手の防御壁ではなかっただろうかと推測されています。
-
モンゴル帝国・初代王チンギスハーンの縁の場所を巡ります!【SA-800】その時代に寄り添う チンギスハーン・ポイントをめぐる