デリー 市内観光訪問箇所
デリー
ニューデリー
イギリスがつくった近代的な町で、インドの首都。
1911年にカルカッタからデリーにイギリス占領地の首都として移され、イギリス人建築家ラチェンズによりニューデリーの建設が開始されました。
完成したのは1931年です。
オールドデリー
300年前ムガル王朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが城壁で囲んだ街。
ラール・キラー
ラール・キラー
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンはアグラからデリーに都を戻し、新たに自らの名を冠した都城シャー・ジャハーナーパドを造営しました。
これが現在のオールドデリーでその中心にラール・キラー(レッド・フォート「赤い碧」の意味)は1639〜48年に建設されました。
その名のとおり、赤い砂岩で築かれた堂々たる赤いお城です。
ラージ・ガート
ラージ・ガート
ラージ・ガートはインド独立運動を導いたマハトマ・ガンディーがなくなった翌日、ヒンドゥーの作法に従って火葬に付された場所です。
遺灰は彼が独立を説いて歩き回ったようにインド各地の河に流されました。
ここには板や遺骨は納められてはいませんが、火葬の場所に黒い大理石も安置され、カンディーの最後の言葉「ヘ―・ラーム(おお、神よ!)が刻まれています。
石の両脇にある募金箱に集まったものはガンディーが生涯その解放を訴えたハリジャン(カーストの最底辺で差別されてきた人たち)のために使われています。
周囲は公園に整備され、ガンディーの足跡を偲んで常に参拝者が絶えません。
ガンディーの命日や誕生日(10月2日)などには記念の催しが行われます。
ジャマー・マスジット
ジャマー・マスジット
ジャマー・マスジットではイスラムの休日にあたる金曜日にイマーム(導師)が説教を行う集団礼拝が行われます。ジャマー・マスジットとは街の中枢のモスクに与えられる名です。
ここは1656年にシャー・ジャハーバードによっての本寺として建設され、インド最大の規模を誇ります。
インド門
インド門
コンノート・プレイスの東南2.5kmにある高さ42mのインド門は、第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑です。
インドは戦後の独立条件にイギリスに協力して参戦しましたが、大きな犠牲と引き換えの独立は実現しませんでした。
壁面には戦没者1万3500人の名前が刻まれています。
フマユーン廟
フマユーン廟
ムガル帝国第2皇帝のフマユーン廟は、その妃が1565年に建造しました。
庭園の中に廟を置く形式。
後にこの影響を受けて建てられたのが世界遺産のタージ・マハルです。
クトゥブ・ミーナール
クトゥブ・ミーナール
ニューデリーの南郊外約15kmに位置。
直径14.5mで5層のうち3層は赤砂岩、その上は大理石と砂岩で築かれた、高さ72.5mの棟があります。
奴隷王朝Salve Dynastyのスルタン、クトゥブッディーン・アイバクがヒンドゥー教徒に対する勝利を記念した建物。
その後、後継者が増築し、現在の形となりました。
モスクでの礼拝を呼びかけるためにも使われています。
以前は100mの高さがあったこともありましたが、飛行機事故で現在の高になっています。
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